燕王(永楽帝)の人物像とその成長過程
⇑元末三兄弟。藍玉も燕王も李成桂が自分たちに怒るのを一度も見たことがないという。
幼少期と性格の変化
燕王は、幼少期には生真面目で気弱な性格であり、周囲の顔色をうかがっては自己主張を控える少年だった。しかし、藍玉や李成桂からの過剰な庇護と愛情を一身に受けることで、彼の性格は次第に変化していく。自尊心が強まり、派手なものを好み、他者に対してわがままな一面を見せるようになった。嘘笑顔は健在だが、幼少期と違い自己防衛のためではなく戦略的に使い分けるようになっている。
表と裏の顔
表向きは陽気で人懐こく、誰にでも親しげに接する一方で、裏では冷静に局面を読み取る狡猾さを持つ。すでに宦官組織を掌握し、後の東廠を思わせる体制を築いている点からも、その計算高さと権力への意識の高さがうかがえる。
藍玉と李成桂
燕王にとって藍玉と李成桂は、配下ではなく特別な存在であった。藍玉には「藍玉さん」、李成桂には「桂兄上」と呼び、困った時にはすぐに頼り、戦場においても自身はほとんど戦わず、李成桂を前線に送り出すことを常とした。幼少期に見た李成桂の姿に強い憧れを抱き、その三つ編み髪型を自身のシンボルとして取り入れている。李成桂本人はそれをだいぶ前にやめ高麗人風の格好をしている。
転機となる敗北と修行
転機は北元の武将ホリホチンとの戦いに敗北しボコられたことに始まる。泣きつかれた李成桂が一騎打ちでホチンを下し、ホチンはその後、李成桂の命で燕王の訓練役となる。藍玉や李成桂とは異なり、ホチンは情に流されず、厳格なモンゴル式の鍛錬を課す。燕王にとっては、初めて自分を律する環境であり、精神的・戦術的成長のきっかけとなった。
統治者としての姿勢
燕王は見た目の軽薄さに反し、政治的な手腕と人心掌握に才能を見せる。父帝の忠臣である太祖24人衆との関係は基本的に良好だが、苦手とする人物に対しては藍玉を通じ処理を任せる。直接的な対立を避けつつも、敵と認識した者を着実に排除しようとするあたりに、為政者としての現実的な判断が見える。
外見と私生活
端正な顔立ちと碧眼を持ち、社交的で華やかな振る舞いを見せる燕王は、女性関係においても奔放である。ただし、美しくない相手には興味を持てないと率直に語る一方で、家庭においては誠実な夫として振る舞い、妻の内面を尊重し、信頼に基づく穏やかな夫婦関係を築いている。
不貞を働くが性欲ありきで愛を知らない。
軍の象徴と自己認識
燕王軍は兵士全員がモヒカンという独自の謎スタイルで統一されている。一方、燕王本人は三つ編みを貫いており、軍と自身を明確に分けることで、統治者としての自我と個人の信念を両立させているっぽい。
自立への歩み
藍玉と李成桂が自身の元を離れてから、燕王は初めて自らの力で政務と軍務を担う必要に迫られる。無力さと向き合いながらも、ホチンら新たな部下たちとともに、指導者としての在り方を模索していく。依存から脱却し、自立への道を歩むその過程こそが、彼の成長の本質である。
実父・陳友涼に比べると、武勇の面で明らかに劣る。象徴的に受け継いだ鋼鉄の竿も、扱いは未熟である。ただし、戦場での存在感や度胸、そして政治的な機略においては、彼なりの強さを発揮している。