🕯️ 私の創作スタイルについて
――「万人に好かれなくていい。真実だけを描く。」
私の創作において、最も重要なのは「正しさ」ではなく「誠実さ」です。
そして誠実であるとは、必ずしも倫理的であることを意味しません。
むしろ、表の倫理が隠している矛盾や暴力にこそ、人間の真実が宿ると私は考えています。
🎭 きれいごとで飾られた社会に、NOを突きつける
- 「加害者を赦すことは美徳」
- 「加害者にも人権がある、再出発を」
- 「命はみんな平等」
- 「家族はかけがえのない存在」
…そういった“良識”を装った言葉たちが、実際には被害者を黙らせている場面を私は何度も目にしてきた。
そして、その怒りや悲しみの声は、誰にも届かないまま「未熟」「感情的」とラベリングされ、処理されていく。
だからこそ私は、その声を焼き出すための物語を描いている。
🔥 私の作品が目指すもの
私の作品は、次のようなことを主題にしています:
- 「赦さないことで生き延びた人間」の存在
- 「道徳の名で殺された者たち」の復讐
- 「正しさに潰された者たち」が、怒りを力に変える姿
つまり、私は「優しい物語」や「癒しの結末」を目指していません。
人が“偽善に満ちた同調圧力、暴力から自由になる瞬間”を描くことこそ、私の目的です。
⚠ “万人受け”はしない。それでいい。
私の物語を読んで、不快になる方もいるだろう。
「救いがない」「倫理的に間違っている」「過激すぎる」――
そう感じるのは自由ですし、そういう読者は私の読者ではありません。
私は、「救われなかったが運命に必死で抗ってる人間」の側に立ち物語を書いている。
万人に好かれる表現は、
誰の心にも深く届かない。
だから私は、好かれなくていい。
ただ、必要としている誰か一人にだけ、深く刺さればいい。
🧱 私の作品は“読む亡命”である
この世界には、
- 赦せなかった人
- 世間一般の言う正しさを拒絶した人
- 怒りを手放せなかった人がたしかに存在している。
でも、そういう人が居場所を持てる物語はほとんど見たことがない。
だから、私は描きます。
その人たちが、「ここにいていい」と思えるような物語を。
この物語が、“倫理から逃れた魂”の亡命先になれるように。
🛡 最後に
私の物語は、
偽善を追い詰める物語。
道徳の皮を被った偽善という暴力を焼き尽くす火刑の記録。
そして――
「正しいと言われることに殺されかけた人々」のための、最後の祈りです。
万人に届かなくていい。
だが、“誰にも理解されなかったあなた”には届くかもしれない。
そんな物語を、描き続けます。