1370年代の明は、洪武帝(朱元璋)の統治下で、戦乱からの急速な復興と、君主独裁体制の確立が同時に進んだ、「生き生きとした、しかし厳しい監視下にある」国家だった。以下のポイントでその姿を説明できる。
1. 政治:皇帝への権力集中と粛清
丞相制度の廃止(最大の特徴):1380年、胡惟庸の謀反をきっかけに、約1500年続いた丞相制度を廃止。以後、皇帝が直接六部を統轄する中国史上類例のない独裁体制が誕生した。
功臣の大量粛清:若い皇太孫のため脅威となりうる功臣を次々と排除。胡惟庸の獄はこの頃に始まり、後に数万人が処刑される大事件に発展。
厳しい反腐敗:農民出身の皇帝として、汚職役人に非常に厳しく、60両(現在の感覚でいうと少額らしい、申し訳ないが詳しくはわからない)以上の賄賂で酷刑(皮を剥いで草を詰める残虐刑「剥皮実草」)にし見せしめとするなど、恐怖政治で綱紀を引き締めた。
2. 経済・社会:戦後復興と管理
農業重視の政策:戦乱で荒廃した田畑を回復するため、移民や屯田兵による大規模開墾を推進。全国で約60〜70万頃(広大な面積)もの軍屯田が経営されたという。
戸籍・土地管理の徹底:全国民を軍戸・民戸・匠戸などに分けた「戸籍制度(黄冊)」と、土地の測量台帳「魚鱗図冊」を作成。国民一人ひとりを詳細に把握し、税収を安定させた。
格差の抑制:商人や富裕層には高税を課し、貧しい農民を保護する政策を取っていた。
3. 国際関係:周辺国への牽制
冊封体制の再建:周辺諸国(高麗・後に朝鮮、日本、琉球、ベトナムなど)に対して、元朝に代わる中華の正統な王朝として朝貢を求め、冊封を行っている。
海禁政策:民間の海外渡航は禁止(海禁政策)し、外国との交流は国家間の正式な朝貢貿易に限定。これは後の「倭寇」問題の原因にもなっている。
4. 文化:質素と実用
科挙の定着:官僚登用制度として科挙を再開。ただし、この頃はまだ実力者や功臣の子弟も多く登用されており、科挙一本になるのは後代のこと。
『大明律』の制定:新しい王朝の基本法典である『大明律』を完成させる。
質素倹約の奨励:元朝末期の贅沢な風潮を戒め、簡素な生活様式を宮廷から民衆まで推奨。
総合的なイメージ
1370年代の明は、まさに「創業の君・朱元璋のカリスマと恐怖が交錯するダイナミックな時代」だった。
光の部分:戦乱で疲弊した民衆の生活は急速に安定し、農業生産が向上。中国社会は力強く復興。
影の部分:しかしその背後では、皇帝の猜疑心による熾烈な粛清と、全国民を把握するための厳格な統制が行われた。
つまり、「民を飢え死にさせない」という強固な意志と、「誰にも権力を奪わせない」という執念が一体化した、民衆にとって餓死することはないが窮屈な暮らしを強いられた国、だったと言える。

